『古事記』の神話で語られている、蛭子(ヒルコ)と 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の二柱の神々の悲劇は、私たち人間に対する古代の神々から頂いた、大いなる課題である。

唐突ですが、日本で一番古い文献って何かご存知ですか?

日本で一番古い文献は、712年(和銅5年)、天武天皇の命により、大安麻呂(おおのやすまろ)が稗田阿礼の口伝とその他の書物を編纂したと言われている『古事記』です。

その後の720年(養老4年)に、舎人親王らによって作られたんが『日本書紀』です。

『古事記』『日本書紀』は単なる神話、歴史的根拠も価値もない物語だとお思いかもしれませんが、それは昭和の歴史観です。昭和の歴史の先生方は権威主義という妄想に取り憑かれていた少し頭の弱い人たちだったんですね。

簡単に言うと、頭の弱い人たちが信じる歴史観のもとで作成された教科書で、これまた思考力の貧弱なガッコのセンセという人たちに、受験対策的歴史観を長年植えつけられてきたということになります。

考えてもみてください、たとえ、奈良時代とはいえ、時の最高権力者が、当時のナンバーワン学者に編纂を命じるということがどんな意味を持つのか?

古事記はその序文に編纂の動機が記されています。

編纂を命じた神武天皇は「いろいろな家に帝紀(天皇の歴史)とか旧辞〔神話・伝説)などの歴史的伝承があるが、それには誤りや乱れがあるようだ。ここで、諸家の所伝を正しておかないと後々大変なことになるので、、本当の歴史書を作って後世に伝える。」としています。

ここではあまり詳しく述べないが、「記紀」編纂に当たっては、諸家の伝書が集められ、「記紀」編纂後、ことごとく梵書(現政権に都合の悪い記録を焼き払うこと)されている。

ゆえに、古事記が日本最古の書物となり、それ以前に書かれた記録は現在においても偽書というレッテルを貼られ、そうした研究は学会でも相手にされないという扱いを受けてきたのです。

もう一つついでに、「記紀」は漢字で書かれています。それ以前には、日本に文字がなかったというのが学会の定説ですが、古代ヲシテ文字、神代文字、サンカ文字、アイヌ文字、カタカムナ 文字、等々、いろいろな形態を持つ民族が日本の古代には存在し、それぞれが独自の歴史的記録を持っていたが、天武天皇(ヤマト政権)によって梵書されたという学説が最近の主流です。

しかし、「記紀」以前に書かれたとされる漢字以外の古代文字表記は全て偽書として研究もなされていないのが現歴史学会なのです。

「記紀」と福祉の意外な関係!

高天原(タカマノハラ)に天地を主宰する天之御中主神(アマノミナカヌニノカミ)がお立ちにになり、次に、天上界の高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、地上界の神産巣日神(カムミムスヒノカミ)がお立ちになる。

その後、葦牙の上に、生命をつかさどる、宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)がお立ちになり、そして天上界の永遠を護る、天之常立神(アメノトコタチノカミ)が現れる。

次に、国土の神、国之常立神(クニノトコタチノカミ)、大自然の命の神、豊雲野神(トヨクモノノカミ)が現れる。

そして、次にようやく、男神、伊邪那岐神(イザナキノカミ)、女神、伊邪那美神(イザナミノカミ)が、最後に現れる。

その後、伊邪那岐神と伊邪那美神は、八百万の神を生むのだが、最初に産んだ子は、蛭子(ヒルコ)といい、様子のおかしい骨のない子だった。

そのため、「葦の船に乗せて捨てた」とある。

これが、わが国最古の書物とされる『古事記』に出ている最古の障がい児の記録である。そして、その障がい児の蛭子は捨てられている。

もう一柱、悲劇の神様が存在する。

それは、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んだ時、伊邪那美神は、大火傷を負い、それが元で死んでしまう。

伊邪那美神を埋葬した、伊邪那岐神は、怒りのあまりに我が子、火之迦具土神の首を十拳剣で切り落としてしまうのだ。

福祉の存在価値

わが国最古の書物にある神の起こした2つの悲劇、

これゆえに私たちのたずさわる福祉が存在するのかもしれない。

太古では、神々でも起こしてしまう悲劇、しかし、その神々から生まれた私たち人間は、何万年後なのか、何千年後なのか分からないが、現在、その悲劇を繰り返すことのないように、社会福祉というシステムを生み出した。

太古の神が望んだのは、そして我々人間に課せられた神々からの使命は、そういうことなのだと私は信じている。