学生時代、35年前、インドを旅したときのことを思い出して書いてみました。詐欺や嘘が横行するインドの旅。そんな中でも本物と出会えるのです。詐欺や嘘が横行する老人ホームでも本物があってほしいものです。

インド 真夜中のアグラ、歓楽街でのバイオレンス!

私は、学生時代ヒッピーでした

大学の夏休みや春休みを利用して旅に出かけていました。

と言っても35年以上前のことです。

大学4年に進級する前の長い春休みを利用してインドに旅立ちました。

まず、タイのバンコクまで飛んで、そこから先はバンコクで航空チケットを調達する安旅行です。

その旅先で、タージマハールで有名なアグラを訪れた時のことです。

私の泊まるゲストハウスからバザールまでの途中に4つ星ぐらいの豪華な「アクバル・イン」というホテルがありました。

そのホテルのゲート付近に、旅行客を相手に稼ぐ「サイクルリキシャ」(自転車の後ろに客用のシートが取り付けられたタクシーより安い乗り物)がたむろするところがありました。

そこを通り過ぎる際に、10数人ほどいるリクシャマンの中の一人の男が不意に声をかけてきました。

男「にいちゃん! ここに一緒に座ってチャイ(インド風のお茶)でも飲んで行かないか?」

声のする方を見ると、ひときわ衣服の整った、見るからにリーダー格の髭を生やした男でした。

私「遠慮しとくよ、先を急ぐから。」始めは無視して通りすぎようと思ったけれど、でもなぜかその男が気になって、一声かけて断りました。

男「そうか、でも少しぐらい、いいじゃないか、それにお前に話すことがある。お前にとって、ちょっと重要な話だ!」

文法も発音も滅茶苦茶な英語だが同じく文法も発音も滅茶苦茶な俺にはなぜかよくわかる英語でした。

私「いったいどんなことなんだ?」

とても気になった私は、足を止めて聞き返した。

男「まあ座れ」

何人か地べたに車座になっている自分の横に、わざわざ首に巻いていたスカーフのような布を地面に敷くと、男は、そこに座るように手で促しました。

遠慮なく私は座りました。すると、男たちの一人が、チャイの入った小さなティーカップを差し出しました。

それを受け取ったところで、男は話し始めました。

男「お前は、3日前にこの街に来た。そして〇〇というゲストハウスに泊まっている。」

「昨日タージマハールまで20ルピー払ってサイクルリキシャで行っただろ?」

私の行動をすっかり把握している。

「 20ルピーは払いすぎだ! 実は7ルピーで行ける。ホテルだってお前が泊まっているところよりいいホテルが半額で止まれるはずだ。なんなら俺が紹介する。そう疑うな!お前の金なんか奪わないから安心しろ!」

安心できるわけがない、インドに来て10日ほど経つが、詐欺と嘘っぱちの連続でほとほと愛想が尽きてきたところだったのです。

インドはもうコリゴリ、正直タージマハルを見たらネパールに移動しよと決めていたところだったのです。

怪しいことこの上ない。

私は試しに聞いてみました。

「なんで俺によくしてくれるのか?」

男「ほとんどの旅行者は、俺たちが話しかけても相手にしてくれない。」

「話すことと言ったら値段を安くすることだけだ。でも、お前は俺たちとこうしてチャイを飲んでくれた。」

「俺たちの中に入ってきた。」

「正直お前をみていると危なっかしいから声をかけてみたんだ。アグラにいる間は俺たちが相手をしてやる。インドの旅を楽しめ!」

車座の10人ほどの男たちの顔を改めて見回したら、みんな微笑みかけているように見えました。

後で聞いてみたら、旅行者の情報を集めることぐらい、この男の情報網は簡単なこたらしいです。

もっと他の私の情報も知っていました。

この男の名前はホリライ、その日のうちに私は宿を変えホリライの紹介してくれたホテルに移りました。

驚くほど安価で泊まれることになりました。

引越しもホリライの手下が数人手伝ってくれました。

私は、この日からホリライとその一味と行動を共にするようになったのです。

ホリライは、どうやら、リクシャを20台所有する親分で、貧しいものにリクシャを貸し出し、その上がりの一部をレンタル料としてもらうというビジネスをしているようでした。

行きたいところにはホリライが付き添ってくれ、どこに行くにもリキシャはタダ、見たいところ、いきたいところ、どこでも連れて行ってくれました。

時には見たくないところまで連れて行ってくれる有様でした。

ホリライが付き添えないときは、彼の手下の若い者が2〜3人必ず私をエスコートしてくれました。

驚いたことに、お金は全く要求されず、そればかりか、飯はいつでも奢ってもらってました。

いつも奢られてばかりは気が重いので、時には私が奢ったり、タバコをみんなに配ったり、ラムを1瓶買ってみんなで飲み回したり、そんな関係が10日ほど続いたときのことです。

ホリライが言い出しました。

「今夜は、みんなで街に飲みに行こう!」

インドは酒を飲むのは慣習的に良いことではなく、いつも誰かの家でこっそり宅飲みしていたのです。

それに、アグラの街は、9時になると、どの店も屋台も閉まってしまうのです。

私「オープンしてる店なんかあるの?」

周りのみんなはニヤニヤ笑っています。

これは何かあるな、と思い私も同行に承知しました。

夜8時ごろ、数台のリクシャに乗り分けて12〜13人で出発しました。

アグラの街を数キロ離れたところに、にぎやかな明かりが見えてきました。

わざわざ離れたところにできた歓楽街、この一帯は、夜遅くまで、屋台も売店も飲み屋も揃っていて、それ以外は売春宿がひしめく地域でした。

『地球の歩き方』には乗っていないエリアです。

白人も、もちろん日本人も、観光客には一人も出会いません。

街の入り口ではチェックはありませんでしたが、ひょっとして、外国人オフリミット?と思わせる場所でした。

社会主義国で発展途上国の事情は複雑です。

皆で夜遅くまで、酒を飲み、遊び呆けました。私も、ディープなインドの夜を心行くまで楽しみました。

誓って言いますが、女性を買いに来たわけではないです。夜遅くまで飲み歩きたいだけだったのです。

皆の酔いが絶頂の頃、私たちのグループの数人が、他のグループの者と、表通りで、揉め始めてしまいました。

何が原因かよくわからないまま争いは、大きくなっていきます。

言い合いをしている者、掴み合いをしている者、グループ同士が一発触発の状況です。すでに殴り合っているものまでで始めた頃、ジープが数台突入してきました。

そして、私たち2つのグループは、ライフルを持ち、カーキ色の制服にベレー帽といういでたちの、兵隊とも警官ともわからない一軍に、あっという間に周りを取り囲まれました。

インドで酒の上でのトラブルはかなりやばいです。

ライフルを構え、まわいを詰めてきます。数にして20人ぐらい、私たちのグループも対抗グループも皆手を挙げています。いわゆるホールドアップ状態です。

どんどん、近づいてきて、道路の端の高い壁の建物まで追いやられました。

隊長らしき男が何か叫んでいます。

皆は、壁を向き、手を壁につけています。

そうするように叫んでいたのでしょう。

私も皆と同じように壁を向き手をつきました。

ライフルを突きつけられたのは生まれてはじめてだったので、正直ビビりました。

このままどうなってしまうのか? まさか後ろから撃たれる? いろんな考えが頭をぐるぐる巡っている時、隣のホリライが、小声で私に言いました。

「ちょっとまずい。お前はもっとまずい。外国人だ。」

私は思いました。

「あっ、やっぱりか! まさか強制送還?」

ホリライは小声で続けます。

「俺が気をそらして、もう一騒ぎする間に、その道に逃げろ!」

ホリライが目配せする数メートル先に、真っ暗な路地の入り口があります。

言い終わるか終わらないかのうちに、ホリライは回れ右をして、自分の目の前の銃を構える兵士に向かって、何やら大声で話しかけました。

それをかわきりに、皆が回れ右をして兵士に向かって、抗議の抵抗らしき行動を取り始めました。勇敢にも銃を向ける兵士との小競り合いが始まりました。

その隙に私は真っ暗な路地に何が何やらわからないうちに、逃げ込み、もうダッシュで走りました。

とにかく真っ暗です。何かにぶつかり、ドブに片足を取られながらもとにかく走り、曲がり角と思えるところを曲がり、必死に逃げました。

私を逃がそうと追いかける兵士の前に立ちはだかり大声を上げる仲間の声が後ろで聞こえました。

とにかく私は、売春宿街の真っ暗な路地を走り続けました。

幸運にも銃声は聞こえてきませんでした。

走りつづけ、疲れが頂点に達した頃、薄ぼんやりした明かりが見えてきました。多分売春宿の裏口なのでしょう。

その明かりの下に、背の低い私と同年代と思われる女が立っていました。

女は、汗だくで、ぜいぜい息を切らしている外国人の私を見て、初め何事か驚いた表情で私を上から下まで観察すると、事情を察したのか、中に入るように促しました。

インドの春の小寒い深夜

促されるまま奥まで入ると、薄暗い質素な部屋、薄汚いベットに小さなテーブルと椅子が一つ。

女は一瞬姿を消すと、水がいっぱい入ったグラスを持って再び現れました。

女は、グラスを手渡しながら椅子に腰掛けるように促します。

私は、そのグラスを受け取り、一瞬考えました。

「この水を飲み干すと俺の腹はどうなるのだろか?」

この場に及んでお腹を壊すことを恐れる自分のふてぶてしさが怖くなりました。

一応試しに聞いてみました。

「コーラかビールはないか?」

どうやら通じたようでした。

女は再び姿を消し、コーラの瓶を持って現れました。

私は、そのコーラを受け取ると、一気に飲み干しました。

生ぬるいコーラでした。

私は、ホッとして、今までのこと、警官に追われていること、朝までかくまってほしいことを小声で説明しました。

全然通じてない様子でしたが、女の「ここにいろ」という仕草は私も理解できました。

ポケットからありったけの札を出して彼女に渡そうとしました。

彼女は、少し笑いながら、その札を軽く推しやりました。

私は、札をテーブルの上に置きました。

今度は彼女が、その札の中から極少額の一枚を取り出すと、それを私の方に見せ、コーラの空き瓶とベットを指差し、自分のサリーの胸にしまい、その後残りの札をまとめると、私の胸のポケットにねじ込みました。

私は靴を履いたまま、女の指差したベットに横になり、一睡もできないまま一夜を明かしました。

辺りが明るくなった頃、宿屋を抜け出すと、件の大通りまで戻ってみることにしました。

道に迷いながら、どうにかこうにか元の場所に戻ると、そこにはもう昨夜の喧騒はなく、ゴミが散らばった道には朝もやが立ち込め、その先に、早起きのリクシャが1台朝帰りの客待ちをしていました。

私はそのリクシャに乗り込み、自分のホテルまで運良く、無事帰ることができました。

シャワーを浴び、残り少ないタバコの箱から1本取り出し、昨夜のことをボーッと考えていると、ホリライの手下がリクシャに乗って私を迎えに来ました。

「あれからどうなったんだ?」

アクバル・インの前のいつものたむろ場所に向かう途中、その手下に尋ねると、自分たちは無事帰れたが、ホリライだけがみんなの身代わりで捕まったと聞かされました。

アクバル・インのたむろ場所に着くと、手下が全員集まっていました。

そして、ホリライの親友の楽器屋の親父が来ていました。

私も何度かホリライを通じて顔を合わせていたのでその親父と話しました。

楽器屋の親父は、これから様子を見に留置所まで行くと言っているので、私も一緒に連れて行けと頼みました。

2人で1台のリクシャに乗り、留置所に行くまでの間、話しました。

楽器屋の親父は、金を積めばなんとかなるかもしれないと言っていました。

私がいくら積めばいいのか尋ねると、交渉次第だということでした。

留置所に着き、所長に友達に合わせてくれるよう頼むと、案外簡単に許可がおりました。

インドの留置所は、”牢屋”そのもの

コの字型に作られた建物はコンクリート打ちっぱなしで、内側に鉄格子がつき、小さい部屋がいくつも連なりお互いが見えるように配置されています。

その一つにホリライが閉じ込められていました。

かなり疲れているようでした。

「とにかく早く出してやるから頑張れ」

と伝え、所長と楽器屋の親父との交渉が始まりました。

これも案外早く決着がつき、250ルピーで今日の昼には自由にしてやるとのことでした。

その場で250ルピーを私が払い、昼には出てくるホリライをアクバル・インのたむろ場で待つことにしました。

結局、ホリライが解放されたのはその日の昼をだいぶ過ぎた夕方に近い時間でした。

その日はホリライの家で楽器屋の親父と手下数人とラムを飲みました。

少し酔いの回ったホリライは、バツが悪そうに私に言いました。

「色々すまんかったな。」

私、「俺こそ逃がしてもらってありがとう。一人だけ逃げてごめんな。」

ホリライは自分の手のひらを私に向けて言いました。

「インドにくる旅行者は、インド人を嘘つきとか詐欺とか言いやがる。でもそうじゃないやつもたくさんいる。俺の手の指もそれぞれ太さも長さも違う。こんな狭い中でもだぜ。」

「インド人だって同じだよ。詐欺もいるし嘘つきもいる。でもマジでお前と友達になれるやつもいる。こんなことでインド嫌いにならないでくれ。」

私はネパールに行くのをやめにしました。

インドをもっと旅して、もっと見てみたいと思いました。

私がアグラを後にして、ジャイプールに向かったのはその3日後のことでした。

新たな出会いと発見を求めて、そしてホリライと再会を約束して。

おしまい

宣伝文句ばかりでいい加減な老人ホームは後をたたない。

でもその中にも本物はある。

本物は尊い、それはどの世界でも同じだ。